ご紹介したい映画は「Trainspotting」。
日本で公開されたのは1996年。この映画は2017年に続編の『T2』が公開されている。こちらがヒットしたという話は僕の耳には届かなかった(むしろ、酷評に近い評価が多い)。実際にオリジナルに比べて、僕自身それほど衝撃を受けるということはなかった。登場人物たちの20年後を描いた映画で、見た目を含めて大人になった部分と大人になりきれなかった部分を描いた映画だ。その話は今回のメインではないので、オリジナルの「Trainspotting」の話をしていこうと思う。
イギー・ポップの『ラスト・フォー・ライフ』の軽快なドラムと共に、主人公レントンが全力でダッシュするシーンから映画は始まる。誰もが冒頭10秒で心を鷲掴みにされる映画史に残る名シーンだ。刹那的に人生を全力疾走する5人の若者の青春映画がこれから始まる。
『Trainspotting』は90年代後半のポップカルチャーを象徴するダークな青春映画だ。キーワードは「不景気」、「音楽」と「ファッション」、そして「ドラッグ」。いつでもカルチャーが花開くのは不景気の時であり、カルチャーには「音楽」と「ファッション」が欠かせない。
この映画の舞台になっている90年代後半のイギリスは、長く続く不景気で、特にアイルランドの失業率は高かった。それでいて世界の音楽とファッションの中心でもあった。
音楽でいえば、アンダーワールド、ケミカルブラザーズに代表されるテクノに、オアシスとブラーの対決。この時期のイギリス発の音楽は「ブリット・ポップ」と呼ばれて世界中で大ヒットしていた。そしてポール・スミス、ビビアン・ウェストウッド、マルコム・マクラーレンなどのパンクをミックスしたファッションが大流行。イギリス発のカルチャーが世界を席巻していた。
登場する若者は不景気と若者ならではの自堕落さで、ろくに仕事もせずにドラッグに溺れる日々を過ごす。ドラッグを打ってはぶっ飛び、切れれば現実に押しつぶされそうになる。自堕落で自業自得のハイとローをジェットコースターのように猛スピードで走り抜ける。
どのシーンも彼らの疾走感を音楽が盛り上げる。公開当時『Trainspotting』のサントラCDも大ヒットした。この映画の音楽の特徴は、シーンに合わせてインストがかかるタイプではなく、当時ヒットしていたミュージシャンの音楽をそのまま使っており、コンピレーションに近いことだ。レントンが重大な決断をするラストシーンで流れる『ボーン・スリッピー』はアンダーワールドの代表曲であり世界中で大ヒットした。そういった名曲がこの映画を盛り上げる為の装置としてふんだんに使われている。カルチャーの担い手である若者のリアルを、「音楽」と「ファッション」を通して見事に描いた作品だ。
ここで簡単にこの映画の概要について触れたい。
監督はダニー・ボイル。後に『スラムドッグ・ミリオネア』でアカデミー賞を受賞し、2012年ロンドンオリンピックの開会式の演出を担当した。そして主人公のレントンはユアン・マクレガー。
実はこの映画には原作がある。アーヴィン・ウェルシュの映画と同名の小説『Trainspotting』だ。こちらも映画と同様に、本国ではベストセラーになった。原作者であるアーヴィン・ウェルシュがドラッグの売人役で出演している。監督曰く、「小説の世界観を台無しにした」などと後から文句を言われないようにとのこと。
ストーリーを簡単に紹介する。
主人公の「レントン」、イケメンだがいけ好かない野郎「シックボーイ」、ヤクはやらないがケンカ中毒の「ベグビー」、心優しいヤク中「スパッド」、そして唯一まともな「トミー」。この5人の仲間の青春映画だ。
舞台は不景気真っ只中のスコットランドの田舎町エディンバラ。レントンたちは失業保険をもらいヤクをやったり止めたりしながら気ままに過ごしていた。
いつものように仲間が集まりドラッグでハイになっていた。何時間、何日続いたのかも分からないハイな状態から覚めると事件が起こっていた。そしてレントンたちのお気楽な日々は終わり、転がるように落ちていくのだった、、、。
どこから情報を得てこの映画のことを知ったのかは定かでないが、とにかくやばい映画だという情報、そして日本では渋谷のシネマ・ライズという映画館でしか観られないという事を知った。この映画がヘロイン・ジャンキーの青春映画だと知っていたのか、知らなかったのかは覚えていない。一つだけ覚えているのは、この映画のポスターをよく見かけたことだ。街中で見かけたわけではない。テレビの中だったり、雑誌か何かで誰かが写っている後ろなどで見かけた。そのポスターが何のポスターなのか分かっていたのかいなかったのか。サブリミナル効果のようにそのポスターを見かけるたびに、気になっていったことをよく覚えている。公開されたのは1996年。僕が見たのは1997年。高2だった。当時はインターネットのイの字も無い時代だった。情報を得るにはテレビと雑誌くらいしかなかった。例えば好きなミュージシャンの新譜は地元のCDショップに行って『○○New Albam 5/14Release』みたいなポップを見て情報を得ていた。その意味でいえば、今の若者がテレビを観ないというのは理解できる。今の時代、知りたい情報は検索すればいくらでも出てくる。その昔は深夜遅くまでテレビを見て、東京の単館映画館でこんな映画をやっている、とかのサブカル情報を手に入れていた。
僕はトレインスポッティングを高校の時の友達二人と僕の3人で観た。その日は高校の遠足みたいな行事があり、横浜に行って観光をしていた。帰りに3人で渋谷に寄り映画を見た。
公開から1年ほど経っていたせいか、映画館に客は僕らを含めて数人しかいなかった。映画の内容はヘロイン中毒の仲間達の青春映画だ。この青春映画というジャンルはなかなか難しい。何を持って青春というのか。笑われるかもしれないが、僕は現在43歳だがまだ今は青春だと思っている。いまだに夢というか目標を持っていて、それに向かって自分なりに頑張っている。毎日の挑戦やうまくいかないことを楽しみながらサバイブしているつもりだ。そういったところからまだ今も青春を生きていると思っている。そういう定義なら、トレインスポッティングに登場する奴らはまさに青春していると言える。ドラッグに溺れて自堕落に過ごしてはいるが、そんな日々を全力で苦しみながら楽しんでいる。
当時の僕は刹那的な生き方というものに憧れを抱いていた。いわゆる中二病ってやつだった。自堕落がかっこいい。自暴自棄がかっこいい。酒に酔って暴れるのがかっこいい。ドラッグにハマり、身を崩すのがカッコいい。ロックンロールこそが最高にカッコいい音楽だ。みっともないジジイになるくらいなら24歳で死にたい。永遠に反抗期でいたい。約束の時間には現れない。たまにワケもなくダウナーに入り何日も連絡が取れない奴になりたい。
これが高二でトレインスポッティングを仲間と見に行った時の僕の「かっこいい」だった。まさに中二病を地で行っていた。我ながら愛おしすぎて、頭をなでなでしてやりたい。そして、この中二病患者の妄想を描き切ったのがこのトレインスポッティングの魅力だ。ただし変に斜に構えたポーズのようなものは無い。というのも原作者アーヴィンウェルシュの自伝的小説を映画化したからだ。明日のことなど何も考えずに、大人には絶対にできないことを全力でやってのけるのが青春だ。そしてそれを描いた映画こそが僕が求めていた映画だ。それこそがこの映画の最大の魅力だと思う。
初めてトレインスポッティングをみてから25年以上が経っている。多分50回くらいは観たと思う。それでも年に1回くらいは無性に観たくなる。もうドラッグをやりたいとは思わない。音楽も近所迷惑にならないような音量で聞く。待たせるのが悪いので待ち合わせの10分前には到着できるように出発する。遅れるのが分かった時点で先方には連絡する。
続編の『T2』同様、僕も大人になった。いや、オジサンか?もう1996年のレントンたちに共感することはできないけれど、彼らに会ったら伝えたいことがある。
「永遠にそのままでいてくれ」と。